岡山フィルハーモニック管弦楽団 第84回定期演奏会
〜プラハへ時空の旅〜
スメタナ/連作交響詩「我が祖国」
第1曲 ヴィシェフラド(高い城)
第2曲 ヴァルタヴァ(モルダウ)
第3曲 シャールカ
第4曲 ボヘミアの森と草原から
第5曲 ターボル
第6曲 ブラニーク
指揮:三ツ橋敬子
コンサートマスター:藤原浜雄
2025年5月17日 岡山シンフォニーホール

今年度の定期演奏会プログラムが発表された時、数ある演目の中でも、この『プラハの春』の季節に組まれたスメタナの「我が祖国」全曲は特に楽しみなプログラムの一つだった。
しかし、このプログラムを考案した秋山和慶ミュージック・アドヴァイザーの逝去により、状況は一変する。楽団は一時的に船頭を失ったかに見えたが、ホームページでは年度が変わっても秋山さんの名前がそのままになっている。現在も岡山フィルハーモニー管弦楽団(以下、岡フィル)のミュージック・アドヴァイザーは秋山和慶であり、氏の遺志を継ぐ指揮者によって、秋山アドバイザー考案のプログラムをこなしていくことが楽団にとって最良の道であるという、岡フィルの覚悟が見える。
今回の定期演奏会は、岡山シンフォニーホールが改修工事に入る前の、最後の定期演奏会という特別な意味合いも持っていた。それもあってか、会場は85%の入りで、3階席の後方まで埋まる客席は圧巻であった。
開演前の三ツ橋さんによるプレトークは途中から聞くことができた。丁寧かつ熱のこもった楽曲解説は、聴衆を物語の世界へと誘い、期待感を高めた。秋山さんの急逝による代役、そして三ツ橋さん自身何度も客演した岡山シンフォニーホール改修前の最後の定期を任され、意気込みも十分といった様子であった。
編成は、弦五部が12型(1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、下手奥にCb6)、管楽器はオクターブ楽器を加えた2管+α。ホルンは5本という布陣であった。専属の首席奏者は全員揃い踏み。未だ空席のホルンには信末碩才さん(日フィル。氏のホルンの音は驚くほど柔らかい)、トロンボーンは大馬直人さん(東響)、チューバはShionの北畠さん(岡フィルでは初客演だろうか)が加わっていた。
最近の岡フィルは、若手をトップ・プルトへ起用することが多い。第1ヴァイオリンのフォアシュピーラーの長坂さんはお馴染みだが、第2ヴァイオリンに仁熊さん、チェロには川岡さんなど、最近入団した奏者をトップサイドへ起用している。オーケストラの一般的な慣習として、プルトの移動すらオーディションで決める楽団もあると聞くが、この点、岡フィルは極めて柔軟に運用されているようだ。
三ツ橋さんの指揮は、全身から溢れる情熱を前面に出しながら、弦楽器群からこれが12型とは思えないような豊かな響きを引き出し、木管・金管からもパワフルでありながら色彩豊かな音を引き出していた。三ツ橋さんにとっても全曲通しでこの曲を指揮するのは初めてだったそうだが、岡フィルにとっての「我が祖国」全曲初演奏とは思えないほど、すでに完全に“持ち曲”になっているかのように堂に入った演奏だった。
長年のファンゆえ贔屓目に見ているのかもしれないが、このような“土のにおい”がするようなロマン派の楽曲を演奏させたら、このオーケストラは本当に素晴らしい演奏をする。一昨年の秋山さんとのシベリウス2番、あるいは4年前の園田隆一郎さんとのドヴォルザーク7番など、岡山という風土から湧き上がってくるものがあるのだろうか。秋山さんは、この曲が岡フィルに合っていることを見抜いていたと感じる。
三ツ橋さんは、第1曲「ヴィシェフラド」からして、濃厚かつエネルギッシュな音楽を展開した。この曲の中間部ではアンサンブルのまとまりという点では今一歩だったが、縮小均衡でアンサンブルを整えるのではなく、少々縦の線がずれようとも、音楽の流れやうねりのパワーを切らさない演奏で聴き手を圧倒した。あのクーベリック&チェコ・フィルの90年「プラハの春」ライヴも、整ったアンサンブルよりも溢れる情熱を感じる演奏であり、そういう曲なのだと思う。
第2曲目の「ヴァルタヴァ(モルダウ)」は、聴き慣れた曲であるにもかかわらず、全く異なる曲に聴こえた。第1曲で繰り返し出てきたヴィシェフラドのモチーフが最後に出てくる場面では目頭が熱くなった。これは全曲演奏でこそ体験できる感興だ。
結婚式の踊りの後、天国的なフルートに導かれ、夜が更けて月の輝きに照らされ、靄が立ち込める幻想的な世界は、14歳の時初めてチェコ・フィルでこの曲を聴いたときの感動を呼び覚まされた。フルートと弦・ハープが描き出す幻想的な世界の美しさは極まっていた。まるで美術館で『月夜のヴァルタヴァ』の絵を見ている自分が、音楽が描き出す情景のプロセニアムの内側に引き込まれるような感覚であった。このような感覚は、本場のオーケストラの演奏でしか体験できないものだと思っていたが、それを地元のオケで体験できた感動は何物にも代えがたい素晴らしいものだった。
ここで、わずかに拍手が起こる。もしかすると「前半が終わった」と勘違いした方が口火を切ったのかもしれないが、あまりの素晴らしい演奏に徐々に拍手が広がっていった。それぞれ独立した交響詩であるため、起こっていい拍手である。
第3曲の「ボヘミアの森と草原」は、中間部の叙情的な美しさが光った。右手を弧を描くように振り上げる三ツ橋さんの指揮に呼応して、弦が濃厚に歌い上げた。終盤のクラリネットのソロも良かった。
第3曲と第4曲の間に20分の休憩が入る。実は体調が芳しくなく、この日も朝からひどい頭痛で、鎮痛剤を飲んでも効かず、シンバルがじゃんじゃんバリバリ鳴りまくるこの曲は正直きついな、と思っていた。ところが、打楽器の音が全く煩くなく、シンバルがこんなに心地良い音で鳴るのかと発見であった。全曲休憩なしで演奏されることも多い中で、休憩が入ったことは個人的には助かった。
第4曲冒頭の構えの大きい音楽に、再び「我が祖国」の世界観に一気に引き込まれる。展開部に入って、とても繊細な弦の五部のフーガの澄んだ響きに魅了される。ここって少しシベリウスにも似ているよね。秋山さんの指揮でも聴きたかった。プログラムにもあったが、中間部以降は「何しろ吹きっぱなし、弾きっぱなし」の曲。この後の第5~6曲もスタミナ勝負の曲である。
第5曲と第6曲については、前置きが長くなることをお許しいただきたい。
生演奏で聴いて改めて痛感したのは、この連作交響詩の核心部分は、第5曲「ターボル」と第6曲「ブラニーク」であるということだ。CDで聴いていると、第5曲は前4曲のような豊かなハーモニーではなく、ひたすらユニゾンで押してくるため、聴き辛い音楽と感じていた(ちょっとシベリウスの2番第2楽章に似ている)。
ターボルは南ボヘミア州の都市の名前で、プラハからリンツを結ぶ街道が通っている。
学生時代、宗教改革の授業を取っていたので、ヤン・フスの名前は知っていたが、一般的にはなじみの少ない人物だろう。ヤン・フスは、ルターの宗教改革の100年以上前に、ローマ・カトリック教会の腐敗を猛然と批判し、聖書のチェコ語訳を推進した人物(当時はラテン語が理解できる人間が宗教的特権を独占していたため、これも大改革であった)。1415年にコンスタンツ公会議で異端とされ火刑に処された彼の殉教は、チェコの人々の心に深く刻まれ、その後のフス戦争へと繋がっていく。ターボルという、リンツをはじめウィーンやミュンヘンにも出られる要衝において、ローマカトリック教会や神聖ローマ帝国に向かって敢然と反旗を翻した衝撃は計り知れないものだっただろう。武力による圧力に加えて内部分裂を誘う分断工作により、急進的のフス派は壊滅させられる。
この第5曲「ターボル」と第6曲「ブラニーク」において、執拗に反復される旋律は、フス派の聖歌「汝ら、神の戦士なり」の旋律だそうだ。ブラニークはプラハとターボルの間にある山の名前で、フス派の戦士が眠っているとされる。この2曲は、単に歴史上の出来事を音楽で表現しただけでなく、オーストリア帝国の支配下にあった19世紀のチェコの人々が、過去の英雄であるヤン・フスの精神を受け継ぎ、民族の誇りを取り戻そうとする強い意志を反映している。
ドヴォルザークも、スメタナに刺激を受けて、劇的序曲「フス教徒」を作曲している。敬虔なカトリック教徒であったドヴォルザークが、異端とされたフスをテーマにした作品を書いたことは、当時のチェコ社会におけるフスの重要性を示唆している。
さて、例のごとく前置きが長くなったが、ストーリーの性格上、極めてハイカロリーな2曲を弛緩することなく演奏した岡フィルは見事であった。チェコという国はミュシャの絵などのイメージから、ドイツやロシアなどの強国や、四六時中紛争が起こっているバルカン半島諸国に比べると、繊細で穏やかなイメージがある。しかし、どうしてどうして、最後の2曲を聴いていると、島国農耕民族の日本人が臆してしまうような肉食スラヴ民族のパワフルさを感じる。それだけにスタミナも要求されるし、次から次へと現れる魅力的なモチーフや楽曲ごとのキャラクターの把握、表情付けが結構難しいと思うのだが、三ツ橋&岡フィルは見事に料理していた。
会場は万雷の拍手で、改修前の岡山シンフォニーホールの素晴らしい音響を含め、名残惜しむような雰囲気に溢れた。
実は、秋山さんの代役としての三ツ橋さんには不安があった。以前、岡山フィル定期に登場した際、強い音や濃厚な音が欲しい時に手綱を引き鞭を入れるほど、オーケストラに力みが出て、強い伸びやかな音が出てこないという印象が残っていた。三ツ橋さんの指揮は、柔・剛で言えば剛のタイプだと思う(秋山さんは両刀使いだが、本質的には柔の人であった)が、今回は岡フィルとも信頼関係が築けているのか、良い意味で「好きなように思い切り行ってください!」という場面が多く、オーケストラが本当に良く歌い、鳴っていた。
ただ、秋山さんならばどんな音楽を描き出したかな?という気持ちは残る。三ツ橋さん赤く輝くような情熱的な演奏だとしたら、秋山さんは日の出前あるいは日没後のマジックアワーと言われる、魔法のように刻々と変化するような切ないまでに美しいグラデーションとでも言うべきか、そんな瞬間がもう体験出来ないのか・・・・という喪失感を感じながら今シーズンの秋山さんが創ったプログラムを、聴いていく事になるのだろう。