天井桟敷のつぶやきver3.1

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岡山フィル特別演奏会 コンマス&ヴァイオリン:福田廉之介

岡山フィルハーモニック管弦楽団 特別演奏会

〜冬の午後、指揮者なき弦が奏でる光の調べ〜

モーツァルト/ディヴェルティメント K.136

 〃 /ヴァイオリン協奏曲第5番

エルガー/序奏とアレグロ

ドヴォルザーク/弦楽セレナーデ

コンサートマスター・ヴァイオリン独奏/福田廉之介

2025年12月14日 岡山芸術創造劇場ハレノワ中劇場

 このハレノワ中劇場という空間で、弦楽器がこれほどまでにしっとりとかつ重厚に響くとは。岡フィルのメンバーと福田廉之介さんをはじめとする奏者たちが、対話を重ね、懸命に音の理想を探して見出した結果だろう。今の岡山フィルが備えるサウンドの練度は、もはや「本物」の域に達していると感じた。

 正直なところ、ハレノワ中劇場は管楽器の鳴りには定評があるものの、弦、特に高音域が硬く、時に刺さるように響く印象があった。足を運ぶ前は「今日はハレノワかー」と一抹の不安もあったが、今日は杞憂に終わった。コロナ禍の郷古廉さんとの『四季』、そして前回の福田廉之介さんとのヴィヴァルディ/ピアソラ。岡フィルの弦楽合奏にハズレ無し!


 編成は10型のストコフスキー配置(1stVn10、2ndVn8、Vc6、Va6、上手にCb4)。ヴァイオリン協奏曲のみ管楽器が加わったが、その客演首席ホルンに大阪フィルの名手・高橋正純さんを迎えるなどのサプライズもあった。

 チケットは早々に完売。800席規模のキャパは倉敷市芸文館や大阪・いずみホールに近いが、それらの中規模ホール以上に舞台と客席の距離が近く、2000席のシンフォニーホールでは決して味わえない濃密な臨場感がそこにはあった。

 

■ モーツァルト:ディヴェルティメント K.136

 前半はディヴェルティメントK.136、モーツァルト16歳(1772年)頃の作品と、ヴァイオリン協奏曲第五番、19歳(1775年)の作品。奇しくも6月に聴いた広響福山定期(ソロはシュトイデさん)と前半プログラムと全く同じ。となれば、両者の演奏を比較する誘惑には勝てぬというもの。

 前述の通り、弦の音色の艶や質感は一級品。一方で、この曲における表現の彫りの浅さが少々気になった。まるで小面(こおもて)の能面のような、端正ではあるが感情の起伏をあえて排したのっぺりとした静止画のよう。福田さんや篠原さんが推進力を持って先導する場面でも、オケの反応にわずかなタイムラグを感じてノリが悪い。この時点では「シュトイデ&広響の盤石さと比較するのは酷か」という思いが頭をよぎったのも事実。

 

■ モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番《トルコ風》

 しかし、福田さんがソリスト、篠原悠那さんがコンマスの座に就いた「トルコ風」で、空気は一変した。まさに君子豹変。オケがキビキビと反応し始め、表現の振れ幅が劇的に広がったのだ。

 ピンと背筋を伸ばししなやかな身のこなしで合図を送る、コンマス席に座った篠原さんの影響は絶大だ。篠原さんの起用は福田さんの希望だったのだろう。福田廉之介プロデュースの、このコンサートの成否を分けた活躍ぶり。第1楽章の優雅な主題では福田さんと共に甘い旋律を歌い上げ、第3楽章の軽快な舞曲のリズムでは、パート間・ソリスト間での闊達な対話が展開された。特に「トルコ風」の場面では、コントラバスが弓の木の部分で弦を叩くコル・レーニョ奏法により、打楽器のような破裂音を創出。福田さんの野性味あふれるヴァイオリンと相まって、「トルコ風」の副題のとおり異国情緒あふれる狂騒を現出させた。

 福田さんのヴァイオリンは、モナコに渡ってからその音色にいっそうの磨きがかかっている。第1・第2楽章の抒情的旋律は、さながら可憐なソプラノ歌手によるリートのよう。現在の彼の成熟した音で、ベートーヴェンのコンチェルトを聴いてみたいと思わされた。

 

■ エルガー:序奏とアレグロ

 間違いなくこの日のハイライトとなる演奏。濃厚かつ濃密な名演となり、オケの燃焼度は極限まで高まり、客席は興奮の坩堝と化した。

 弦楽四重奏のソロと弦楽合奏が火花を散らす、現代版コンチェルト・グロッソ。福田廉之介、大光嘉理人(客演首席)、七澤達哉、松岡陽平という名手揃いの四重奏に対し、谷口隊長率いる低音セクションや篠原悠那さん率いる高音セクションが合奏場面で「ここからは我らの領分だ」と言わんばかりの重厚な響きで応戦する。峻烈な対話の合間に訪れる甘美な旋律では、四重奏が胸に迫るような味わい深い余韻を残した。作曲は1905年というから日露戦争期の頃。ロマン派時代から現代への橋渡しの時期の、精緻な構成美と深い情念を堪能させてくれた。

 

■ ドヴォルザーク:弦楽セレナーデ

 福田さんが「田舎臭い曲ですが、それがたまらない魅力」と語った通り、ドヴォルザークの真髄である素朴な慈愛と土の香りが充満するような名演となった。岡フィルの飾らない、誠実なサウンドがこの曲の性格にマッチしている。

 第1楽章の穏やかなさざなみから、第2楽章の舞曲のリズム感、そして第4楽章の心に染み入るロマンティシズム。全5楽章を通じて、弦楽器の合奏はあたかも呼吸を一つにする生き物のようだ。 白眉は最終楽章、曲の終盤、第1楽章のあの懐かしい主題が回帰する場面。それは、岡山から都会へ、あるいは世界へと羽ばたき、研鑽を積んで名を馳せた者が、ふと故郷の山河を思い出して帰還し、その変わらぬ温かさに涙するような、「ふるさと賛歌」が聴こえるようだった。

 来季、このような「小編成でピリッと山椒の効いた」プログラムが予定されていないのは残念だ。このシリーズは岡フィルの「弦の底力」を磨き、聴衆に新たな発見を与える場として、ぜひ継続すべきだ。得るものが多すぎる。

 ハレノワのロビーから外を眺める。15年前は静まり返った「ゴーストタウン」のようだったこの界隈も、今やマンションが林立し、街の表情は劇的に変わった。ホールとしての立地には議論の余地がるが、岡電が1時間に10本以上行き交うこの場所が、ハレノワの存在によってイメージを一新し、職住近接を望む世代や高齢者が住まう場所として存在感を上げている。