天井桟敷のつぶやきver3.1

瀬戸内地方のコンサート感想記録。since2006.7.26 ssブログ(旧so-netブログ)サービス停止のためはてなブログに引っ越してきました

ライヴ配信:ノット&東響の「リモート指揮」東京オペラシティシリーズ第116回

 コロナ禍の中での演奏活動を進めていく中で、世界各地のオーケストラは様々な課題に挑んでるが、今回のジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のニコ生での配信を見て、「ついにここまでやったか!」ととても驚いた。
 指揮者の位置に置かれた4台のモニター。それを見ながら楽団員たちが演奏する・・・。指揮台に立つはずだったジョナサン・ノットは東京にも日本にも居ない。
 経緯については、東京交響楽団のホームページに書かれていますが、音楽監督ジョナサン・ノットが来日出来るよう手を尽くしたが、それが叶わず、代役を立てるか指揮者無しで演奏するかなど様々な可能性を検討した結果、前半のブリテン/ブリッジの主題による変奏曲は指揮者なしで演奏、後半のドヴォルザーク交響曲第8番は、ノットのスイスの自宅で滞在中された指揮映像を見ながら演奏する、という前代未聞・空前の方法で挙行することになった。
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 これはオーケストラ側にとっては、全く割に合わない。指揮者の大きな仕事は2つあって、1つ目は演奏のディレクションを決めて、オーケストラから最高のパフォーマンスを引き出すこと。これはある程度はリハーサルなどで徹底できるだろう。もう一つは演奏上の危機管理。何か起こったときに事態を収拾し軌道修正する役目、場合によっては最終的に責任を被る対象として存在する。今回の録画映像による霜ーと演奏では2つめの役割は期待できない。当然、危機管理はオーケストラが自分たちで行わなければならず、とりわけコンサートマスターには想像を超える負担となる。
 指揮者側も無人の空間を前にして、頭の中でオーケストラの音を鳴らしながら40分近い指揮を続けるのは、相当な集中力と熱意が必要だ。
 ネット上では驚きの声があがるとともに、概ね好意的な意見が多かったが、クラシック音楽ファンの間ではこのやり方に批判的な声が上がっていた。それはる当然の意見でもある。しかし、自分の動画を見ての感想は、とてもエキサイティングで叙情的な心揺さぶられる素晴らしい演奏だった、ということ。
 確かに、オーケストラが熱が入って走って行きそうになるのを、ノットの指揮に合わせてセーブするような場面はあった。もし生身のノットが指揮していたら、そのままの勢いに任せたかも知れないとも思った。
 しかし、指揮をメトロノームにとどまらせず、動画上のノットが見せる仕掛けに的確に反応し、ノットの設計図に沿いつつも、よく歌い・躍動する。最終的にはオーケストラが主体的に音楽を作っていっている様子がよく判り、オーケストラ側にとっても非常に収穫のある演奏になったことがよく判った。
 これはどこのオーケストラでも出来ることじゃなくて、ジョナサン・ノットと東響が6年間の時間をかけて作り上げてきた関係、それも信頼関係なんていう言葉では内包しきれない、ある種の反駁や軋轢も含んだ共同作業のなかで培われた緊張的信頼関係の成果なのだろうと思う。終演後にスイスで演奏を聴いていたノットの会心の笑みに対して、「俺たちはここまでやった!」という楽団員の表情が印象的だった。
 ジョナサン・ノットは世界の指揮者の中でもトップ20に入る実力派指揮者であり、バンベルク交響楽団とのマーラー演奏などは今世紀最高のマーラーとの評価も髙い。そんなノットの日本のオーケストラとの試みは、世界のクラシック演奏の歴史の中で、確実にマイルストーンとなる演奏になったと思う。