指揮者の位置に置かれた4台のモニター。それを見ながら楽団員たちが演奏する・・・。指揮台に立つはずだったジョナサン・ノットは東京にも日本にも居ない。
経緯については、東京交響楽団のホームページに書かれていますが、音楽監督のジョナサン・ノットが来日出来るよう手を尽くしたが、それが叶わず、代役を立てるか指揮者無しで演奏するかなど様々な可能性を検討した結果、前半のブリテン/ブリッジの主題による変奏曲は指揮者なしで演奏、後半のドヴォルザーク/交響曲第8番は、ノットのスイスの自宅で滞在中された指揮映像を見ながら演奏する、という前代未聞・空前の方法で挙行することになった。
これはオーケストラ側にとっては、全く割に合わない。指揮者の大きな仕事は2つあって、1つ目は演奏のディレクションを決めて、オーケストラから最高のパフォーマンスを引き出すこと。これはある程度はリハーサルなどで徹底できるだろう。もう一つは演奏上の危機管理。何か起こったときに事態を収拾し軌道修正する役目、場合によっては最終的に責任を被る対象として存在する。今回の録画映像による霜ーと演奏では2つめの役割は期待できない。当然、危機管理はオーケストラが自分たちで行わなければならず、 とりわけコンサートマスターには想像を超える負担となる。
指揮者側も無人の空間を前にして、頭の中でオーケストラの音を鳴らしながら40分近い指揮を続けるのは、相当な集中力と熱意が必要だ。
ネット上では驚きの声があがるとともに、概ね好意的な意見が多かったが、クラシック音楽ファンの間ではこのやり方に批判的な声が上がっていた。それはる当然の意見でもある。しかし、自分の動画を見ての感想は、とてもエキサイティングで叙情的な心揺さぶられる素晴らしい演奏だった、ということ。
確かに、オーケストラが熱が入って走って行きそうになるのを、ノットの指揮に合わせてセーブするような場面はあった。もし生身のノットが指揮していたら、そのままの勢いに任せたかも知れないとも思った。
しかし、指揮をメトロノームにとどまらせず、 動画上のノットが見せる仕掛けに的確に反応し、ノットの設計図に沿いつつも、よく歌い・躍動する。最終的にはオーケストラが主体的に音楽を作っていっている様子がよく判り、オーケストラ側にとっても非常に収穫のある演奏になったことがよく判った。