天井桟敷のつぶやきver3.1

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岡山フィル第62回定期演奏会 指揮:シェレンベルガー Pf:ジャン・チャクムル

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第62回定期演奏会
ショパン/ピアノ協奏曲第1番 
ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」

指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ピアノ独奏:ジャン・チャクムル
2019年10月20日
岡山シンフォニーホール
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 5月定期のブラームス交響曲第3番の演奏を聴いて、「これは10月定期のブルックナーも、かなり期待できるかもしれない」と思う一方で、このオーケストラとしては初めてのブルックナーということで、そこまで期待しないほうがいいかもしれないとも思ったりしましたが、予想をはるかに上回る、もうこれぞブルックナーだ!という満足に浸った素晴らしい演奏になった。これは、ブルックナーの日本国内での聖地:大阪に持って行ってもいい勝負になると思う。
 
 シェレンベルガーらしい、拍節が明確で、それでいてずっしりとした重量感のある硬派な演奏である一方で、この曲の持つ最大の魅力である明るい生命力あふれる世界観を、音楽の中の鼓動と息づかいを通じて見事に表現されていた。まるで中世の森の中に招かれたようなリアルな手応えがあった。
 そして、第1楽章冒頭・終結部、あるいは第4楽章冒頭のような場面での大山脈が眼前に迫ってくるような壮大でパースペクティブな表現は、いつも聴いているはずの岡山シンフォニーホールがとても広く感じたほど。
 トウッティでは終始、大迫力のブルックナー特有のオルガン・サウンドで客席にずっしりとした音の塊が迫ってきて、バルコニー席全体がビリビリと震える感じがあり、なお面白いことに電源を切っているはずの私のスマホのバイブレーションが「ブルブル」共鳴していた(一瞬、「電源切り忘れたのか!」と焦りました)。
 ここの奏者では、まずはホルン主席の梅島さん(やはりハイレベルに安定したホルンを聞かせてくれた)、ティンパニ客演の近藤高顕さん(今回の名演の影の指揮者だと思う、この方の著書、むちゃくちゃ面白いです)、七沢さん率いるヴィオラ部隊に最大の賛辞を!
 浜コン優勝者:ジャン・チャクムルの登場(そして浜コンをモデルにした「蜜蜂と遠雷」ブーム)ということもあって、会場は9割以上埋まる盛況ぶり。ただ、ブルックナーのコンサートだけ大量発生する男性ブルックナー愛好家達の姿は恐らく少なかったのではないか、その証拠に男子トイレの混雑は普段と変わらなかった。大阪のブルックナーのコンサートなんて、男子トイレに長蛇の列が出来ますから(笑)

 編成は!stVn12ー2ndVn10ーVa8ーVc8、下手奥にCb6の、チェロバスを補強した12型2管編成。
 私がブルックナーを初めて聴いたのは、朝比奈御大が指揮する7番で、CDで聴いていたときは全くピンと来なかったのに、実演で聴いたときの迫力と美しさに一気に魅了されたのを思い出す。そしてその時にもっと印象に残ったのが客席の集中力だ。7番もいわゆる原始霧と呼ばれる弦のトレモロから始まるが、その瞬間の2000人以上の固唾を呑む音が聞こえてくるような緊張感は忘れられない。これは大阪独特の雰囲気だったかもしれない。一昨年の読売日響の7番も、昨年のセンチュリー響の4番も、舞台上に注がれる視線の集中力に圧倒された。

 で、今回の岡山フィルの客席は、いい意味でリラックスムード(笑)私のように脇に汗かき、ドキドキしながら原始霧が始まるのを待ちわびているのは少数派。
 しかし、実際に原始霧が始まってみると、客席が「なになに?この音!」と、驚いているのが手に取るように解る。ピアニッシモで始まっているのに、100km先の地鳴りが聴こえてくるような幻想的だが芯のある音が響いてくる。客席の舞台への集中力が一気に高まった。ホルンの梅島さんのソロは言う事なし。それどころかソロの後の木管との掛け合いも見事、この人、完全にこの痺れるような緊張する状況を楽しんでる(笑)、ブルックナーリズムに乗って弦のトレモロがクレシェンドする場面では遠い地鳴りが一気に眼前に展開し、客席を光が包んでいくような感覚になった。この時点で既に「おわー、岡山フィルすげー」と思ったよ。

 まあ、こんな感じで細かく書いていくと、膨大な文章になってしまって、文章にまとめるのが大変なので、困ったときの箇条書きでいきます。
・全曲を通じた印象。とにかく緊張感が途切れない。すごい集中力だ。演奏していて相当しんどい曲だと思うが、第3楽章のハイカロリーな演奏で、大満足感に浸っている間もなく、第4楽章の冒頭で大山脈が迫ってくるような壮大な迫力に心臓がバクバクした。
 この動画は天下のドレスデン・シュターツカペレの演奏だが、この演奏が淡白に感じるほど(この演奏も生で聞いたらきっと凄いんですけどね)岡山フィルの演奏は燃え盛っていた。第4楽章の終結部では、「これまでのはピークじゃねかったんか!まだ余力があるんか!」と驚き打ちのめされる迫力だった。聴いてる方もすごく疲れた、もうお腹いっぱい。でもブルックナーはこの疲労感を楽しみに聴くのだ。

・この日の岡山フィルの音を聴いていると、私が足を踏み入れたことがない、 南ドイツからオーストリアの深い森の中の景色が眼前に現れるのが不思議だ。シェレンベルガーが「こういう音が欲しい」と要求しただけで出る音じゃない気がする。思えば岡山フィルの奏者の大部分のヨーロッパへの留学経験や高畑コンマスを筆頭に演奏活動をしてきた方もいる。そういった楽団員の1人ひとりに染み込んでいるヨーロッパの自然や空気をシェレンンベルガーが引き出している、そんな風に感じる。だから、リアルな森の息吹と生命の鼓動を感じるのだろうと思う。

今回の岡山フィルの演奏は、3階学生席で聴いていた多感な年代の学生にとっても、とても強く印象に残った演奏だったと思う。自分たちの街のオーケストラってすごい!プロって凄い!と。高校生の時にはじめてブルックナーを聴いたときの僕のように。

・中央で活躍する音楽評論家・ジャーナリストの方は今回の岡山フィルの演奏を聴いていないと思われるが、例えば東条碩夫さんや奥田佳道さんら、地方オーケストラの活躍に注目している方が聴かれたらどういう感想を持たれるだろう。とても驚かれるのは間違いなく、全国的に話題になる切っ掛けになりそうだが。

ブルックナーのシンフォニーはどれもそうだが、ティンパニの役割の重要性の比重が極めて高いと思う。今回はかなり速いテンポで進んでいて、岡山フィルはアンサンブルの乱れが無い強靭な骨格の演奏だったが、ちょっと呼吸が乱れかける場面はあった。近藤さんのティンパニが入ってくると筋が通ったように呼吸が整っていく。ブルックナーにおいてティンパニは『影の指揮者』とも言われるが、まさにそんな業を見せていただいた。

・岡山フィルはトロンボーン・チューバは未整備なので客演。トロンボーン客演首席は都響の方だったようだ。ホルンも京響の水無瀬さん、小椋さん、名フィルの安土さんという、西日本の名手を集めたような布陣で、確かに豪華助っ人の力は借りていたが、ホルン首席の梅島さんは素晴らしいソロを聴かせてくれたし、小林さん率いるトランペット隊も、神々しいサウンドを聴かせてくれた、これは「岡山フィルの音だ」と断言していい。

木管も相変わらずいいですねぇ。自然の息吹が聴こえる今回の演奏を彩ったのは間違いなく木管陣。第1楽章の終結部に向かうときのオーボエ+ホルンからはじまってフルートが入ってきて徐々に盛り上がっていく場面で落涙してしまった。
 第3楽章の木管も凄い。この楽章は金管・打楽器が派手に活躍する楽章に見えて、じつは木管が肝だというのがよく分かった。

木管金管の首席陣で協奏曲を聴きたいですね。倉敷芸文館あたりでモーツァルトの序曲とシンフォニーと組み合わせて、畠山・工藤・西﨑・梅島・小林・選考中のファゴット首席で後期6大交響曲6回シリーズなんてどう?
ブルックナーといえば気になるのが、どの版を使ったかだが。プログラムにはノヴァーク版と記載、稿の記載は無かったが、間違いなく第2稿(1878/80年稿)だろう。

・第4楽章の終結部は凄い速いテンポで追い込んだ演奏だった。悠然と終わるフィナーレもいいが、こういう形のフィナーレも説得力がある。

・特に印象に残ったのがヴィオラとチェロ。この曲、ヴィオラ重要ですね。岡山フィルのヴィオラは人材が揃っていて、ふくよかで厚みのある味わい深い音を聴かせてくれた。チェロは第2楽章冒頭を筆頭に、ブルックナー休止からのトゥッティーではコントラバスとともにの分厚い弦楽器の屋台骨を支えた。終演後に特別首席の松岡さんが満足そうに客席の熱狂を見つめていたのが印象的。

・順番が逆になったが、前半のショパンのピアノ協奏曲第1番。今回の岡山フィル定期は浜松国際ピアノコンクール優勝者に与えられた副賞であった。浜コンホームページにも掲載されている。コンクールへの出場者は優勝タイトルや名誉、あるいは賞金よりも、この優勝者に保証されたコンサートツアーやレコード会社との契約(浜コンはBISとの契約が保証されているようだ)こそが、もっとも欲しいという話はよく聴く。どんなに実力ある若手演奏家であっても、舞台に立てなければそれを披露するチャンスはないのだから。

・余談になるが、もし優勝者が牛田さんだったら、エライことになっていたかも知れない(僕はマイシートなので問題ないが)。チケット争奪戦は必至だっただろう。牛田さんはくらしき作陽大学音楽学部のモスクワ音楽院特別演奏コースの研究生だそうなので、岡山フィルと共演して欲しいなァ。定期マイシート会員が100人ぐらい増えるだろう。彼なんてコンクールに出なくても音楽家として充分やっていける実力があるのに・・・・頭が下がる。閑話休題

・ジャン・チャクムルの優勝者ツアー。他のオーケストラとの共演プログラムを見ると、札響がベートーヴェンの3番、阪響がモーツァルトの21番、名フィルメンデルスゾーンの2番、東響がシューマン、岡山フィルと九響がショパンというプログラム。正直、僕としてはベートーヴェンモーツァルトが良かったなあ、というのが正直なところ。

ショパンのピアノ協奏曲はピアノ独奏部分は美しいが、オーケストラ部分がはっきり行ってツマラナイ。ソリストとオーケストラが丁々発止のやり取りをするわけでもなく、オーケストラとのハーモニーが特別美しいかというと、そうでもなく、第2楽章は極論すると「オーケストラは無くてもええんじゃね?」と思ったりもする。ショパン20歳の作品で、若書きゆえの未熟な部分もあり、せめてショパンがもう10年いや20年長生きして、シューマンブラームスの協奏曲に比肩する作品を書いていてくれたら、ショパン・コンクールももっと盛り上がるだろうに、と思う。 

・でも、ジャン・チャクムルさんのピアノはとても美しく、繊細でいて音の芯はしっかりしている。でも、後半のブルックナーの演奏が記憶をすべて洗い流してしまった。ショパンのコンチェルトとブルックナー、という組み合わせは10年ぐらい前に大フィル(指揮:高関健)で5番との組み合わせで聴いたが、あのときは前半のソリストの演奏にけっこう感動したはずなのだが、ブルックナーに全部持っていかれた。ソリストが誰だったか?すら、もう覚えていない(笑)オーケストラ曲として見た時に、あまりにも格が違いすぎる。ベートーヴェンモーツァルトの20番代のコンチェルトならば曲に力があるので、そんな事にはならないだろうが。

・ただし、会場の盛り上がりを見ると、こんな意見は「ショパン音痴」の僕ぐらいなのだろう、と確信するほど盛り上がっていた。彼のベートーヴェンモーツァルトはもちろん、プロコフィエフラヴェルを演奏したら、とっても魅力的な演奏になると思う。
・アンコールはしっかりと耳に残っている。シューマンのリーダークライスの「月夜」オーボエ編曲版、オーボエをなんとシェレンベルガーが演奏したのだ。シェレンベルガーオーボエに触発されて、たった5分間だったが、彼がどういう音を作りたいのか、何を訴えたいのか伝わってきた気がした。

 最後になりましたが、10月12日〜13日の台風19号で被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。自分にできることとして、岡山シンフォニーホールでのコンサートに行った際は、友の会や定期会員のチケット代割引分を募金箱に募金しようと思います。